輸血の歴史・献血マップ

はじめに

献血とは

献血とは、輸血や血液製剤製造のために、健康な人が自らの血液を無償で提供することです。これは 血液の成分すべてを採取する全血献血と、特定の成分のみを採取し成分献血に大別され、前者は主に 200 mL 献血と 400 mL 献血、後者は血小板献血と血漿献血が行われています。

通常、献血で採血した赤血球血小板血漿は血液製剤の製造に用いられますが、赤血球は体内での回復が遅いため、全血献血は頻繁には行えません。そのため成分献血では、比較的回復速度が速く、必要度の高い血小板血漿のみを採血するものとなっています。また、血液製剤の一種として 各種血漿分画製剤があります。

血漿や血小板、赤血球の量や濃度には個人差があるため、どの献血方法が可能であり、適しているかは、献血者によって異なります。特に成分献血は、血小板の濃度や当日の献血状況、そして献血者本人の希望を考慮して、血小板献血、血漿献血のどちらを実施するかが決定されます。


輸血の歴史~世界の流れ

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現代、輸血は一般的な医療行為であり、輸血用の血液を全て献血からまかなうことができています。しかし、献血・輸血が安全に行われるためには、血液に関する科学や技術の発展が不可欠でした。輸血の世界史を、それぞれ関わったお医者さんの病院の位置とともに追ってみましょう。

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1667 年 輸血の始まり

記録に残っている初めての輸血は、フランスの医師 ドニ (Jean-Baptiste Denis) によるものです。彼はフランス国王 ルイ 14 世の顧問医師も務めたとされてる優秀な医師であり、人体への輸血を研究していました。

1667 年、彼は子羊の血液を15 歳の少年に投与しました。少年は生存し、成功体験を得たドニは、同様に労働者に血液を投与しました。しかしそれ以降、子牛の血液を輸血された 3 人目、4 人目の患者が死亡したため、以後 1 世紀半もの間、輸血は禁止されてしまいました。

彼がヒトではなく子羊・子牛の血液を用いたのは、当時の倫理観によるものとされています。

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1827 年 輸血による救命例

ロンドン ガイ病院の産婦人科医 ブランデル (James Blundell) は、出産後の出血で死亡する産婦が多いことに悩んでいました。そこで、彼の患者 10 人に 独自に作成した輸血器を用いて輸血を実施し、5 人の救命例を得ました。

当時、輸血は患者に有害であるとされ、タブー視されていました。実際、成功率は半分であり、完全な成功とは言えませんでしたが、彼の報告は ふたたび欧米諸国で輸血への関心を復活させました。

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1900 年 ABO 式血液型の発見

オーストリア ウイーン大学の病理学者であったラントシュタイナー (Karl Landsteiner) は、ある人の血清に他の人の赤血球を混合すると、凝集する場合としない場合があることを発見しました。この凝集の有無により、ヒトには少なくとも三つの血液型 (現在の A, B, O 型) が存在することを発見し、さらに翌年には 現在の AB 型に当たる血液型の発見が追加されました。

この発見により、輸血の死亡事故の主な原因は、これらの「血液型不適合」によるものとする見方が生まれました。血液型を輸血医学に応用する動きが高まり、輸血による死亡事故は激減することになりました。

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1914 年 – 1915 年 抗凝固剤の開発

血液型が発見された後も、血液を体外に取り出すと凝固してしまうという問題が未解決でした。しかし、アルゼンチン ブエノスアイレス大学の医学者 アゴーテ (Luis Agote) のグループを始めとして、独立した 3 つのグループから、クエン酸ナトリウムが輸血用の血液の抗凝固剤として利用できることが報告されました。この抗凝固剤を使用することで 血液の保存が可能となり、同年に始まった第一次世界大戦に保存血が使用されました。

クエン酸ナトリウムを使用した保存血による輸血方法はアゴーテだけでなく、ベルギーのアルベール・ユスタン (Albert Hustin)、アメリカのリチャード・ルーイソン (Richard Lewisohn) が独立して発見していました。これは、終戦後に初めて明らかになります。

抗凝固剤の発見以前は、腕から腕に「血液が固まる前に急いで輸血する」というものでした。しかし「血液の凝固を防ぐ」発想の 安全な抗凝固剤の登場により、保存した血液を必要なときに輸血できるようになり、輸血の技術は格段に進歩することとなりました。

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1937 年 血液銀行の設立と血液分離技術の発展

アメリカ シカゴ Cook County 病院のファンタス (Bernard Fantus) は院内に血液銀行を設立し、保存血の製造・供給を開始しました。一回の採血量は 500 ml で、保存期間は 10 日間だったそうです。この世界初の血液銀行が呼び水となり、大量の血液を保存して供給できる近代輸血方式が確立されるに至りました。その結果、1939 年に始まった第二次世界大戦で多くの傷病兵の命が救われました。

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1940 年~ Rh 血液型、HLA 血液型、HPA 血液型の発見

1940 年には、Rh 血液型がラントシュタイナーらの研究グループによって発見されました。これは、1900 年に ABO 式血液型を発見したのと同じグループによるものです。Rh 血液型は赤血球の Rh 抗原の有無によるもので、日本人は 0.5% 程度が Rh (-) と言われています。

また、1954 年には HLA 血液型、1959 年には HPA 血液型がそれぞれ発見されました。HLA は白血球の血液型、HPA は血小板の血液型と言えます。

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1964 年~ 病原体の発見、スクリーニング法の導入

その後、B 型肝炎ウイルス であるオーストラリア抗原の発見を始まりとして、HIV や C 型肝炎ウイルス などの輸血感染症を引き起こす病原体がつぎつぎ発見されました。また、それらに対するスクリーニング法が献血に導入され、輸血の安全性は格段に向上しました。

今日での輸血の安全性は、これらの歴史的背景に支えられていると言えるでしょう。

日本でも 20 世紀に輸血・献血の歴史が始まります。


輸血の歴史~日本の流れ

輸血・献血技術が世界的に進化する中、日本での献血文化の発展も、一筋縄ではいかないものでした。

西洋で発展した近代の輸血法が日本に入ってきたのは、1919 年のことです。しかし、すぐに輸血医療が定着したわけではありません。1930 年に、当時の濱口 雄幸首相が東京駅で銃撃されるという事件が起きました。この時駆け付けた 東京帝国大学 (現在の東京大学) の塩田 広重らが駅長室で輸血を行いました。輸血後、濱口首相は病院に搬送され、大手術の末に一命を取り留めました。

この出来事は大きな関心を呼び、輸血が一般化するようになりました。ですが当時の輸血法には血液の安全性に問題があり、1948 年には輸血による梅毒感染という事故を招いてしまいます。そこで、厚生省は日本赤十字社、東京都、日本医師会等の代表者を集め、血液事業に取り組むことを決定しました。

日本赤十字社は米国赤十字社の指導と援助を受け、保存血液の製造に着手します。そして 1952 年に、日本赤十字社東京血液銀行が開業しました。これが、無償で血液を提供してもらう「献血」の誕生でした。

しかし経済不況のさなか、相前後して生まれた民間商業血液銀行により、自らの血液を有償で採血してもらう「売血」が蔓延します。これにより、献血者は極端に減ってしまいました。輸血用血液の供給源を売血者に頼っていたため、売血者は頻繁に売血を行うことになります。これらの血液は赤血球が少なく、輸血後肝炎などの副作用を招きがちだったため、大きな社会問題となりました。

1964 年に、ライシャワー (Edwin Reischauer) 駐日米国大使が暴漢に襲われるという刺傷事件が発生しました。彼はその際受けた輸血により、輸血後肝炎を発症してしまいます。この出来事が最終的な後押しとなり、同年、それまで売血に頼ってきた輸血用血液を献血により確保するよう、閣議決定されました。これが政府による献血制度の決定です。

1967 年以降、各都道府県への赤十字血液センター設置が進み、ついに 1969 年には、民間商業血液銀行の売血による輸血用血液の供給が完全に中止されます。当時の献血思想は「預血」と呼ばれる、現在の基本理念には合致しないものでしたが、1982 年にはようやく献血による輸血体制が完全に確立することとなり、輸血が必要なとき、誰でも安心して必要なだけ輸血を受けられるようになりました。

以後、献血方法や血液製剤、献血基準の変更などを経て、輸血・献血事業は発展してきました。輸血は、現在では当たり前となった医療行為ですが、そこに至るまでには様々な変遷があったのです。


輸血の現状

日本では、1 日当たり約 3,000 人もの方が 病気の治療や手術のために、輸血を必要としていると言われています。しかし 2020 年 4 月現在、血液は人工的に造ることができず、長期間保存することもできません。また、輸血を必要とする高齢者層は増加していますが、献血が可能な若い世代の人口は減少しており、トータルでの献血者数も年々減り続けています。10 ~ 30 代の献血協力者数はこの 10 年間で 35 % (約 98 万人) も減少しています。

日本国内では少子高齢化の影響で、2027 年には約 85 万人分の献血者数が不足すると言われています。

輸血医療は 50 歳未満の人に支えられています。輸血用血液製剤の 8 割は 50 歳以上の方に使われている一方、献血者数は 50 歳未満が 7 割を占めています。年齢が上がると採血の際の危険性が上がることも踏まえ、献血可能年齢は 16 歳から 69 歳までと決められており、また一度でも輸血された経験のある人は献血ができないため、献血は「できるとき・できる人にしかできない」医療ボランティアなのです。

都道府県別の献血状況

2019 年の日本の献血状況を都道府県別に見てみましょう。実献血者数では、東京都が 56 万人と最も多く、大阪府 38 万人、神奈川県 31 万人と続きます。首都圏、人口の多い地域に集中していることがわかります。

では、都道府県人口に対する献血者数の割合 (人口に対する献血者比) ではどうでしょうか。下のマップは、それぞれの都道府県人口に対する献血者数の割合と、採血可能施設数を可視化したものです。

で塗られたものが 4.45% 超過の割合の大きい地域、で塗られたものが 3.4% 以下の割合の小さい地域になります。また、水色の円の大小は、採血可能施設の多少を表しています。

各都道府県をクリックすると、それぞれの情報を見ることができます。右上の矢印から地図を展開し、右下の拡大・縮小や、ドラッグでの地図の移動、左下の凡例表示から、細かく地図を見てみましょう。

日本赤十字社 令和元年統計表より作成

最も割合が高いのは北海道の 4.8% になります。続いて、和歌山県 4.6%群馬県 4.5% と、献血者数の割合が高い地域は、必ずしも首都圏に集中しているわけではないようです。一方、割合が低いのは島根県埼玉県三重県などです。島根県や三重県は献血可能施設数も 3 件以下と少なく、献血に向けた環境整備が大切だと言えるかもしれません。埼玉県の採血可能施設や実献血者数は、どちらも首都圏並みで多い方ですが、割合では少ないようです。

また、山梨県のように、採血可能施設数としては少ないものの、献血者数割合は高い地域もあるようです。あなたの地域はいかがだったでしょうか?


献血するには……?

献血は、日替わりで様々な場所を巡る献血バスと、全国各地にある常設の献血ルームで行うことができます。献血バスの運行スケジュールは、各地域の赤十字血液センターのホームページで見ることができます。

東京都内の献血ルーム

各献血ルームの番号付きシンボルをクリックすると、住所と電話番号を表示できます。また、左下の凡例から、東京都内の献血ルームの一覧をご覧いただけます。

新宿や池袋には献血ルームが複数あるので、右上のボタンからマップを展開し、それぞれの地域を拡大して見てみましょう。

献血の方法・会場での流れ

献血会場での受付から献血実施の流れについて紹介します。献血者自身の健康と、血液製剤の安全性を守るため、献血者の本人確認や、当日の体調・血液の状態等をしっかり確認する必要があります。

  1. 献血受付
  2. 質問事項への回答
  3. 問診/血圧・体温測定
  4. 事前検査 (ヘモグロビン濃度測定/血液型検査)
  5. 採血
  6. 休憩、献血カード受け取り

献血において、最も優先されるのは献血者自身の健康・安全です。献血に行くときは無理のない範囲で、また献血前後の体調不良は 自分の健康を守るため、遠慮なくスタッフに伝えましょう。献血では採血基準が設けられており、採血の実施はこれらの問診や検査などを踏まえて総合的に判断されます。

献血方法別の採血基準

献血の間隔についての規定

    • ※1 65 歳から 69 歳までの方は、60 歳から 64 歳までに献血の経験がある方に限られます。
    • ※2 期間の計算は直近の献血を行った日から起算します。
    • ※3 血漿を含まない場合には、1 週間後に血小板成分献血が可能になります。

    ただし、4 週間に 4 回実施した場合には次回までに 4 週間以上あけてください。

さいごに

上記でも述べた通り、献血を申し込んだ全ての人が献血できるわけではありません。採血基準や期間の規定、輸血経験以外にも、服用している薬の種類や、海外渡航歴、過去の病気経験等によって、献血をできない場合があります。

しかし、「できるとき・できる人にしかできない」からこそ、少しでも多くの人が献血に興味を持つこと、短期間でなくコンスタントに献血者が続くことが、輸血事業には必要になります。 (これは、血液製剤にそれぞれ使用期限があるためでもあります。)

献血をすると、ジュース等の飲み物がもらえるのは有名な話です。これは、献血をすると体から水分が抜けるため、それを補うためでもあります。加えて最近では、お菓子やアイスクリーム、ふせんやクリアファイルなどの記念品がもらえることもあります。献血ルームによっては、マンガや雑誌、ゲーム機などを置いてあるところもあります。あくまでボランティアではありますが、少しでも興味があれば、行ってみてはいかがでしょうか。


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献血方法別の採血基準

献血の間隔についての規定