想ひ出は唯 涙のみ

取材者の命の記録:安保久武をめぐる群像

毎日戦中写真には、記者、写真家など多様な人びとの姿が写されています。報道に携わった者の姿を明らかにする試みとして、カメラマン・安保久武氏が残した写真群から足取りを辿りました。

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北京支局時代、安保26歳 1937年12月

北京西郊飛行場にて吉田重雄操縦士とともに 吉田27歳、航空部東京駐在 *1939年「ニッポン」号の世界一周飛行の副操縦士

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安保と吉田の共同作業:陸軍の済南入城の様子を空撮 1937年12月28日

「軍の済南入城に当っては写真班員〔安保〕の要求で超低空に舞い降り、あるいは入城直後敵の敷設地雷の危険を冒し済南飛行場に強行着陸するなど、初めての報道飛行に先輩諸氏を驚嘆させた」(『東西南北』64頁)

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吉田操縦士の死、モルッカ諸島のハルマヘラ島ガレラにて 1943年12月23日

「各自のポケットには航空手帳、免許証、現金などのほか吉田機長のポケットには愛児の写真が血染めになって蔵されていた」

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北京支局長・渡瀬亮輔のもとで 1938年4月

1900年熊本県出身。父は朝鮮などを布教したキリスト教伝道家の渡瀬常吉。東京帝国大学卒業後、大阪毎日新聞に入り、工務局長、北京支局などを歴任。戦後は、毎日新聞取締役・編集主幹、常務・主筆となる。 のち西部毎日テレビ社長、RKB毎日放送副社長などを務める。享年77歳。

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北京東単の三条支局の内庭にて

天安門広場の東4ブロックに所在(現在、建物はない)

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安保氏撮影、山西大同炭鉱の構内入口 1938年12月4日

渡瀬支局長(左から二人目)ら一行

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大毎上海支局長・田知花信量の配下に 1941年11月

田知花支局長は写真中央、多くの若い支局員に囲まれて

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上海支局の場所

支局の南にある黄浦江沿いには日本領事館、日本郵船

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田知花支局長の墜死 1941年12月1日

南方通信連絡のため、田知花支局長が搭乗した中華航空機「上海号」は広東省恵州市淡水で山腹に激突し墜落。その飛行機に乗るはずだった(!)安保氏は船舶で広東へ。

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香港支局で佐藤振寿と会合 1941年12月8日

香港支局があったビルは健在((現・香港鑽石会大廈)

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安保と佐藤の今昔 1938年、北京支局にて

佐藤振寿:1913年東京市生まれ。1932年2月、東京日日新聞社に入社(写真部)。1937年9月から38年2月まで上海・南京戦線、1939年2月から同11月まで南支方面部隊にて従軍取。1941年10月、病気を理由に東京日日新聞退社。

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安保と佐藤の今昔 1990年、東京ステーションホテル

毎日新聞社写真部OBとの同窓会

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南方戦線の取材をともにした佐藤成夫 1941年12月~1942年2月、香港陥落~マレー戦線~シンガポール攻略

1909年生まれ。オリエンタル写真学校卒業後、1928~33年に大阪毎日上海支局嘱託となる。その後正社員として登用され、ハノイ支局、サイゴン支局、ラングーン支局、昭南支局に勤務。安保とともに取材したのは昭南支局時代。1989年死去。享年80歳。

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東京日日「ジョホール・バル占領第一報」

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東京日日「シンガポール攻略写真第一報」

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召集電報 1943年6月29日

特派員証を返還するや、すぐに召集

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出征前日 1943年7月6日

幼児、隆一を残して

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杭州で再会した石井清 1943年

「石井君と 18年夏杭州での教育期間に当時上海支局にいた石井清君が明治のヨーカンを慰問品として持って来たあのうれしさは忘れられない、夜床にもぐってから、ひそかに戦友の林春英と食べたあの甘さ、今もその味が口中ににじむようだ 43.7.22記」

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武装解除とともに軍兵管理所へ(湖北省咸寧) 1945年8月~1946年6月

1945年9月漢口(湖北省)で武装解除となった部隊は捕虜として収容。 →1946年6月日本へ帰還:咸寧・漢口・上海経由・佐世保・東京有楽町へ →その2か月後デスクに復帰

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戦前:杭州五五六七部隊 戦後:五五六七部隊有志の会 1972年5月22日、靖国神社における慰霊祭にて

東部五五六七部隊 (第一師団渡河材料中隊=輜重隊) 慰霊祭19770522 「五五六七部隊慰霊祭(靖国神社) S.52.5.22」 :「(前略)同年兵の出席者との会合はやはり35年の歳月をお互いに感じながらも精いっぱい兵隊らしく、それが若さを誇示するすべなのも知れないが、それがかえって何かわびしさを覚えさせた。林春英に会えたのはうれしかった。本当に別れて30年目だったからだろう 参拝が終わっての会合で今氏さんがこの会がいつの日かは消えて行くものだとの挨拶は何か逢うは別れのはじめなりを地で行く集団なのだろうか。戦争によって生まれて消えて行くこれが戦友の宿命というものであろう。五十二年五、記」

産学連携プロジェクトの意義

ビジュアルに次世代に戦争の多様な姿を伝える

  1. 焼却命令から守る
  2. 取材者の姿を写す
  3. 「不許可」検閲の記録
  4. 幅広い取材範囲

参考文献

  • 貴志俊彦『帝国日本のプロパガンダ: 「戦争熱」を煽った宣伝と報道』中央公論新社、2022年6月
  • 庭田杏珠・渡邉英徳『AIとカラー化した写真でよみがえる戦前・戦争』光文社、2020年7月