企業の被害状況

関東大震災により、東京・横浜では、工場など多数の企業の建物が焼失・倒壊。被害総額は約55億円(当時)ともいわれます。会社史などの記録写真をもとに、被害状況をマップ化しました。

浅野セメント

王子製紙

麒麟麦酒

資生堂

芝浦製作所

澁澤倉庫

清水組

秀英舎

白木屋呉服店

住友銀行

第一銀行

大日本麦酒(吾妻橋工場)

大日本麦酒(目黒工場)

高田商会

帝国劇場

帝国興信所

帝国ホテル

逓信省(横浜中央電話局)

逓信省(東京中央電話局)

東京石川島造船所

東京会館

東京瓦斯

東京電気

東京電灯

東洋紡績

日本銀行

日本電気

日本電報通信社

博文館印刷所

日立製作所(亀戸工場)

藤倉電線

丸善

三井銀行

三菱銀行(丸の内)

三越呉服店

横浜興信銀行

横浜正金銀行

浅野セメント

現:太平洋セメント株式会社( 会社名の変遷 

セメント工業発祥の地

當社においても深川及び川崎の兩工場が不幸にして災害を蒙ったことは不可抗力とはいへ誠に遺憾の極みであった。深川は地震に次いで火災に遭ひ全工場灰燼に歸したので、その損害は相當大なるものがあったが、川崎の方は幸ひ地震のみで火災の厄を免れたために被害の程度は比較的輕傷であった。(出典:浅野セメント(株)『浅野セメント沿革史』(1940.12))

王子製紙

現:王子ホールディングス株式会社( 会社名の変遷 

洋紙発祥の地

関東大震災により王子・十條両工場建物に多少の被害、全抄紙機運転不能。東京出張所類焼(出典:王子製紙(株)『王子製紙社史 : 1873-2000. 本編』(2001.08))

麒麟麦酒

現:キリンホールディングス株式会社( 会社名の変遷 

震災により本社事務所、横浜山手工場全壊(出典:麒麟麦酒(株)『麒麟麦酒株式会社五十年史』(1957.04))

資生堂

現:株式会社資生堂

関東大震災で店舗工場一切焼失、化粧品部裏、卸部焼け跡にバラックの仮営業所設置。化粧品部焼け跡に仮設ギャラリー設置(出典:(株)資生堂『資生堂宣伝史. 2』(1979.07))

芝浦製作所

現:株式会社東芝

震災により工場焼失、ただちに復興工事に着手し、年末に作業を開始(出典:東京芝浦電気(株)『東京芝浦電気株式会社八十五年史』(1963.12))

澁澤倉庫

現:澁澤倉庫株式会社( 会社名の変遷 

当社では、激震によって倒壊した倉庫はなく、震災自体の被害としては、一部壁体の亀裂、扉の歪曲、屋根の一部の破損程度であったのであるが、その日の夜に入って(深川構内は夜10時頃)、突風にあふられた猛火が波状的に襲ってきて、類焼の厄にあったものである。(出典:渋沢倉庫(株)『渋沢倉庫の80年. 1』(1977.03))

清水組

現:清水建設株式会社( 会社名の変遷 

関東大震災により南鞘町本店焼失。実業之日本社ビルに仮本店を設置(出典:清水建設(株)『棟梁から総合建設業へ : 清水建設200年の歴史』(2003.11))

秀英舎

現:大日本印刷株式会社( 会社名の変遷 

関東大震災で、京橋区西紺屋町の本店、同区元数寄屋町の販売課類焼。第1工場は、新築中の3階部分のみ倒壊(出典:大日本印刷(株)『大日本印刷百三十年史. 資料編』(2007.04))

白木屋呉服店

現:株式会社東急百貨店

正午、関東大震災おこり午後六時深川青少年寮焼失、午後九時半日本橋本店焼失す(出典:(株)白木屋『白木屋三百年史』(1957.03))

住友銀行

現:株式会社三井住友銀行( 会社名の変遷 

関東震災 関東大震火災により新橋・通油町・深川・本所・浅草及横浜の六支店焼失し東京及横浜の各店とも臨時若干日休業す(東京及丸之内両支店無事)(出典:(株)住友銀行『住友銀行三十年史』(1926.07))

第一銀行

現:株式会社みずほ銀行( 会社名の変遷 

銀行発祥の地

関東大震災起る。大震火災により本店及伊勢町、新大坂町、深川、京橋、横浜の五支店類焼したるに付、丸之内、京橋両支店は同月十一日迄、本店及伊勢町、新大坂町、深川三支店は同月十四日迄、横浜支店は同月二十四日迄休業す。(出典:(株)第一銀行『第一銀行年表』(1942.06))

大日本麦酒(吾妻橋工場)

現:アサヒグループホールディングス株式会社( 会社名の変遷 

関東大震災により吾妻橋工場ほぼ全壊(目黒工場・保土ヶ谷工場も大破)(出典:アサヒビール(株)『アサヒビールの120年 : その感動を、わかちあう。』(2010.11))

大日本麦酒(目黒工場)

現:サッポロホールディングス株式会社( 会社名の変遷 

関東大震災により吾妻橋工場ほぼ全壊(目黒工場・保土ヶ谷工場も大破)(出典:アサヒビール(株)『アサヒビールの120年 : その感動を、わかちあう。』(2010.11))

高田商会

現:株式会社高田商会

関東大震災により警視庁庁舎、帝国劇場全焼)東京会館半壊、建築中の内外ビル倒壊。大手町界隈では大蔵省、内務省、印刷局焼失。呉服橋の鉄道院庁舎全焼、高田商会焼失(出典:三菱地所(株)『丸の内百年のあゆみ : 三菱地所社史. 資料・年表・索引』(1993.03))

帝国劇場

現:東宝株式会社( 会社名の変遷 

関東大震災おこり、帝国劇場、有楽座、歌舞伎座、市村座、新富座、明治座など大劇場焼失。(出典:東宝(株)『帝劇の五十年』(1966.09))

帝国興信所

現:株式会社帝国データバンク

関東大震災のため本所・横浜支所社屋崩壊、死者3名(出典:(株)帝国データバンク『情報の世紀 : 帝国データバンク創業百年史』(2000.06))

帝国ホテル

現:株式会社帝国ホテル( 会社名の変遷 

(三十七歳)関東大震災発生。ホテルは被災を免れたるも、開業披露宴は中止。社屋焼失せる報道通信各社その他、及び罹災したる英、米、仏、伊の各国大使館に新館各室を事務所として提供す。(出典:(株)帝国ホテル『ホテルと共に七十年』(1964.04))

逓信省(横浜中央電話局)

現:日本電信電話株式会社(NTT)

横浜市内:電話局―本局・長者町分局ともに焼失。(出典:日本電信電話公社関東電気通信局『関東電信電話百年史. 上』(1968.03))

逓信省(東京中央電話局)

現:日本電信電話株式会社(NTT)

電話交換創始之地 東京電話交換局跡

東京電話壊滅(焼失局舎一三、大破二、加入電話の六三%約五万三〇〇〇を焼失、自働電話の焼失・破損六八八、被害額二三〇五万四千円)(9月3日まで) (出典:日本電信電話公社東京電気通信局『東京の電話 : その五十万加入まで. 上』(1958.07))

東京市内:東京中央電話局―市外局・丸の内分局とも午後10時焼失。市外電話前線不通。(出典:日本電信電話公社関東電気通信局『関東電信電話百年史. 上』(1968.03))

東京石川島造船所

現:株式会社IHI ( 会社名の変遷 

大震災により本社及深川分工場の大半烏有に帰し一時業務を休止せしも間もなく諸般の復旧に着手 大正十二年九月一日の大震災は、本社は致命的とも言うべき損害を被ったが、これは一般同様地震の為でなく、その後に起った火災に見舞われたからである。何でも一日の夜半、炎上せる一隻の船が、流れ着いたのと、均熱せる旋風のあ堀を食って、北西隅にあった機械工場が引火したのとで、見る見る本社も赤一大火焔場と化したのだが、ここに不思議なのは、焼け残ったのが木工場、木型工場、材料庫等の木造建築で、充分大火の能力があると思はれた鉄筋建築は全部焼け落ちて仕舞った事である。(出典:(株)東京石川島造船所『東京石川島造船所五十年史』(1930.12))

東京会館

現:株式会社東京会館( 会社名の変遷 

関東大震災により警視庁庁舎、帝国劇場全焼、東京会館半壊、建築中の内外ビル倒壊。大手町界隈では大蔵省、内務省、印刷局焼失。呉服橋の鉄道院庁舎全焼、高田商会焼失(出典:三菱地所(株)『丸の内百年のあゆみ : 三菱地所社史. 資料・年表・索引』(1993.03))

東京瓦斯

現:東京瓦斯株式会社( 会社名の変遷 

一日午前十一時五十八分関東地方に大地震起る。//瓦斯の供給は一時中止の余儀なきに至る。極力焼跡及残存区域の供給設備の修理復旧に努め早くも二十二日に至り本郷区森川町より肴町に至る電車軌道に沿える需要家に瓦斯供給を開始す。社屋焼失に付本社を一時丸ノ内「ビルディング」三階に移す。

当社の本社社屋(神田区錦町三丁目、今の神田営業所隣地)は、震災に遭遇して焼失したので、本社は一時本郷営業所に移り、間もなく丸ノ内『ビルディング』三階に轉じて、応急の装置を執る事となり、差富り社員を総動員して製造、供給、竝に需用家装置に亘って損害の調査を開始した。(出典:東京瓦斯(株)『東京瓦斯五十年史』(1935.10))

東京電気

現:株式会社東芝

関東大震災の為川崎本社に於ける工場建物多数倒潰し社員工員六十五名の犠牲者を出す(出典:東京電気(株)『東京電気株式会社五十年史』(1940.12))

東京電灯

現:東京電力ホールディングス株式会社( 会社名の変遷 

日本初の電気事業会社開業の地

この振古未曾有の大震災は東京市の六割、横浜市の殆んど全部を焦土と化し、眞に慘悲愴を極めた。從って震災地を主要區域とする當社は多大の影響を蒙り、職員殉職者百十七名に上りたるを初めとし罹災地内の配電線、二次變電所及び需要者工作物を殆んど烏有に歸し、有樂町の本社社屋、横濱支店建物等何れも灰燼に歸した。(出典:東京電灯(株)『東京電灯株式会社開業五十年史』(1936.08))

東洋紡績

現:東洋紡株式会社( 会社名の変遷 

関東地方大震災突発シ王子工場ハ工場及附属建物ノ過半倒壊又ハ傾斜シ精紡機参万四千六百六拾七錘、撚糸機壱万壱千八百六錘破壊セリ(出典:東洋紡績(株)『東洋紡績株式会社要覧 : 創立二十年記念』(1934.06))

日本銀行

現:日本銀行

本店被災(本館半焼、東・西分館全焼)/震災により東京市内銀行店舗の約8割が類焼、横浜市内もほぼ全滅(このため全銀行が自然休業、日本銀行以外で営業を継続したのは大信銀行1行のみといわれる)(出典:日本銀行『日本銀行百年史. 資料編』(1986.09))

日本電気

現:日本電気株式会社(NEC Corporation)

関東大震災により工場の半ば倒壊(殉職者105名)(出典:日本電気(株)『日本電気株式会社七十年史 : 明治32年-昭和44年』(1972.07))

日本電報通信社

現:株式会社電通グループ( 会社名の変遷 

関東大震大火災起る電通の社屋も亦灰燼に帰す、依つて直に仮事務所を帝国ホテルに置き次で十三日麹町区八重洲町一ノ一に移り再度臥薪嘗胆の覚悟を以て甦生の活動に入る(出典:日本電報通信社『電通社史』(1938.10))

博文館印刷所

現:共同印刷株式会社

関東大震災で博文館印刷所は三階建て新工場倒壊、四十一名の犠牲者を出す。(出典:共同印刷(株)『創造の系譜 : 共同印刷の80年』(1977.06))

日立製作所(亀戸工場)

現:株式会社日立製作所

当社の日立、笠戸両工場は震源地から遠く離れていたので、被害はなかったが、亀戸工場は電機工場が半倒し、また、かねて築造中の鉄筋コンクリート健扇風機工場および物置3棟の倒壊、事務所建物の傾斜等総計約40万円の被害をこうむった。しかし、幸い火災は免れた。9月16日停電状態を脱し電力の供給を受けるに至って、作業を開始することができた。(出典:(株)日立製作所『日立製作所史. 1』(1960.10))

藤倉電線

現:株式会社フジクラ

大震災で深川本社・工場全焼(出典:藤倉電線(株)『フジクラ100年の歩み : 1885-1985』(1987.12))

丸善

現:丸善出版株式会社

関東大震災により本店、神田・横浜両支店全焼(出典:丸善(株)『丸善百年史. 資料編』(1981.12))

三井銀行

現:株式会社三井住友銀行

当行本店営業所及横浜支店震火災ノ為メ類焼本店営業部ハ九月十一日ヨリ日本橋支店内ニ仮営業所ヲ設ケ営業ヲ開始ス同月二十日有楽館丸之内支店内ニ移転(出典:(株)三井銀行『三井銀行五十年史(1926.09))

三菱銀行(丸の内)

現:株式会社三菱UFJ銀行( 会社名の変遷 

関東大震災のため深川、日本橋支店焼失、丸之内、丸之内第二支店店内壁面剥離(出典:(株)三菱銀行『三菱銀行史』(1954.08))

三越呉服店

現:株式会社三越伊勢丹( 会社名の変遷 

関東大震災発生(午前11時58分)、本店全焼(出典:(株)三越『株式会社三越85年の記録』(1990.02))

横浜興信銀行

現:株式会社横浜銀行( 会社名の変遷 

関東大震災により本店・東京・伊勢佐木町・野毛町・長者町・神奈川・元町の7か店被災、横浜市内各銀行との申合せにより全店臨時休業(出典:(株)横浜銀行『横浜銀行六十年史』(1980.12))

横浜正金銀行

現:株式会社三菱UFJ銀行( 会社名の変遷 

現在は、神奈川県立歴史博物館として利用。重要文化財。

明治の代表的建造物の一つとして横浜にその豪壮堅牢を誇ったドイツ・ルネッサンス式の本店営業所は、震災当日行員の奮闘努力にもかかわらず、スカイライトに飛火を受けてドームもろとも板硝子が焼落ち、このためついに外壁と地下室を除いて焼失した。(出典:横浜正金銀行『横浜正金銀行全史. 第2巻』(1981.04))

このサイトについて

・本サイトは、本編「 企業資料から読み解く関東大震災 」の一部です。詳細は本編をご覧くださいください。 ・本サイトで提供するすべてのコンテンツに含まれる資料やデータの著作権は、すべて各所蔵機関に帰属します。 ・本サイトに掲載している内容は、今後改善を施し、内容・データを変更する場合があります。 ・本サイトで掲載している『震災手記』は、画像を加工しており、原本と異なる部分があります。

制作

東京大学大学院 渡邉英徳研究室, 渋沢栄一記念財団, 国立科学博物館

運営

東京大学大学院 渡邉英徳研究室

制作メンバー

金甫榮, 高田百合奈, 山口温大, 濱津すみれ, 曹好, 渡邉英徳

資料提供

株式会社資生堂, キリンホールディングス株式会社, 国立国会図書館, 渋沢史料館, 清水建設株式会社, 帝国データバンク史料館, 東京都復興記念館, 土木学会附属土木図書館(五十音順)