キムンカムイ/ エゾヒグマ

二風谷アイヌ語教室広報紙から

1988年から2009年まで、21年間にわたって発行された「二風谷アイヌ語教室」広報紙。全89号の中には、地元で生まれ育ったフチやエカシたちが語った森・川・海にまつわる思い出や伝承がたくさん記録されています。このStoryMapsでは、そのうちキムンカムイ(エゾヒグマ)にフォーカスします。

解説 ヒグマをめぐる先住権

平田剛士(フリーランス記者、森・川・海のアイヌ先住権研究プロジェクト運営委員)

「二風谷アイヌ語教室広報紙」には、たくさんの種類の動植物についての思い出話が登場しますが、哺乳類のうち、最多の登場回数を誇るのが、このキムンカムイ=エゾヒグマです。エカシたち、フチたちがここで語っているのは、1920年代から1950年代にかけて、沙流川のほとりで実際に体験した、クマにまつわる出来事の記憶です。

9つの物語のうち8つまでは、クマ猟や、猟で仕留めたクマの「送り」の儀式、またクマのお肉をみんなで平等においしくいただいた、という幸せな思い出として語られています。残るひとつは、深夜の山小屋で寝ているところにクマが入ってきて肝を潰した、という体験談ですが、年長者の落ち着いた対応でことなきを得ます。これもハッピーエンドの笑い話といえるでしょう。

どの話者も、キムンカムイ=山の神に対して深い畏敬の念を抱いておられることが、とてもよく伝わってきます。それはたぶん、コミュニティにこんな自然観が伝えられてきたからでしょう。

イウォㇿコㇿカムイ(猟場を司る神)、つまり森林はシカとかクマ、あるいはキツネやウサギを養ってくれていて、必要に応じていつでも食料として提供してくれる神。山はアイヌにとって、いつでも食料貯蔵庫であったのです。このように、アイヌがなんらかの形で恩恵を受けているものに対し、お礼の意味で神として祭ったというのが、アイヌと神との関係なのです。……クマは神の国からアイヌの所へ、毛皮という広い風呂敷に、肉と薬を包み、背負って来てくださる神とアイヌは考えていたのです。

文・萱野茂、写真・清水武男『アイヌ・暮らしの民具』(クレオ、2005年)p133-135

これと対照的なのが、当時の北海道の和人社会の対ヒグマ観です。

1915年12月に苫前(とままえ)郡苫前町三毛別(さんけべつ)で、また1923年8月には雨竜郡(うりゅうぐん)沼田町幌新(ほろしん)で、それぞれ一頭のクマの襲撃によって、入植者たち7人、5人が死亡する惨事が発生。各地の開拓地の入植者にとっては家畜や農作物の被害も大きな脅威で、とくに家畜被害は1960年代まで高い水準が続きました。とりわけ1962年の「大量出没」をきっかけに、北海道は捕獲者に報奨金を支給する「ヒグマ捕獲奨励事業」をスタートさせます。当時書かれたヒグマに関する啓蒙書には、「ヒグマは人間の敵、文化の敵」(阿部泰三『熊百訓』山音文学会、1963年)との記述がみられます。 ⁠1 

人里に出没する個体を捕獲するだけでは被害が減らないため、残雪期に森に入って積極的にクマを獲る「春期捕獲(春グマ駆除)」が立案され、1966年に事業化されました。事実上、ヒグマの絶滅をめざす政策でした。日本の鳥獣行政には、エゾオオカミ=ホロケウカムイを絶滅させた“前科”があります(1897年ごろ)。

統計によれば、「ヒグマ捕獲奨励事業」が始まった1963年から、「春グマ駆除」を中止した1990年までの27年間に、計1万1984頭のヒグマが捕殺されました。

「北海道ヒグマ管理計画(第2期)/別冊参考資料編」資料4 ヒグマ捕獲数

ヒグマに対する入植者マジョリティのこうした価値観や政策、またそれによるヒグマ生息域の縮小・分断などが、沙流川流域を含む各地のアイヌ・コミュニティの伝統的な考え方・ふるまい方に影響を及ぼした可能性は高いと思われます。

加えて北海道は1955年3月、「熊送り儀礼」の禁止を通達。〈アイヌにとって最も重要な伝統儀礼のひとつ〉(財団法人アイヌ文化振興・研究機構「アイヌ生活文化再現マニュアル/イオマンテ 熊の霊送り【儀礼編】」2005年、 https://www.ff-ainu.or.jp/manual/files/2005_12.pdf )を一方的に禁じたのでした。各地で儀式は途絶えました。30年あまり経って、一部の地域で再開が試みられたとき、それはふだんの生活の一部というより、大上段に〈若い世代が受け継いでいくことを目的〉(前掲書)に掲げた、文化復興・伝承のためのイベントに変質していました。

入植者植民地主義(セトラー・コロニアリズム)によって先住民族の立場に囲い込まれ、図らずも自由に続けられなくなった数々のことを先住民族の諸権利=先住権と呼ぶならば、フチたちエカシたちが「二風谷アイヌ語教室広報紙」に語ったキムンカムイにまつわる数々のストーリーもまた、いま修復すべき先住権の姿を指し示している、といえるでしょう。

 1  間野勉「第11章 現代社会におけるヒグマ」/増田隆一編著『ヒグマ学への招待 自然と文化で考える』北海道大学出版会、2020年


利用上の注意 このストーリーマップス「『二風谷アイヌ語教室広報紙』から」は、同広報紙の編集責任者で、現在は萱野茂二風谷アイヌ文化資料館館長を務めていらっしゃる萱野志朗さんから、「森・川・海のアイヌ先住権を見える化するプロジェクトに、ぜひ役立ててほしい」と、この貴重な資料の提供を受け、その全面的な協力のもとに制作されました。萱野さんをはじめ、この広報紙の執筆・編集・発行に尽力されたみなさん、また登場のフチ・エカシのみなさんに、心から感謝します。

プライバシー保護 このストーリーマップスの元になった「二風谷アイヌ語教室広報紙」(印刷版、CD-ROM版)の記事には、証言者のお名前は実名、また証言に登場する人名も実名で記録されています。そこから抜き書きにした文章を利用し、ストーリーマップスとして広くインターネット上に公開するにあたり、ご本人やご家族に間違っても不利益が及ばないよう、すでに著名な人権活動家のお名前をのぞき、原則として証言者のお名前はイニシャルに変え、証言に登場する人名は姓を■■で伏せました。


ご利用を歓迎します このストーリーマップス作品は、証言者・執筆者・編集者・制作者とも、著作権を放棄していません。どうぞその権利を尊重してください。しかし、かんたんなルールさえ守っていただければ、コピー&ペーストの引用・転載をむしろ歓迎します。ルールとは、 (1)記事の一部を切り取って元の記事の主旨を曲げたりしないこと、 (2)引用元を明記すること、 (3=ウェブの場合)引用元にリンクを張ること、 の3つです。インターネット上に限らず、地域のみなさん同士の会合などで、このストーリーマップスを共有し、議論を深めるためのツールとしてお役に立ててもらえれば幸いです。(平田剛士/森・川・海のアイヌ先住権プロジェクト 2023年10月15日記述)

出典(底本) 平取町二風谷アイヌ語教室『二風谷アイヌ語教室広報紙創刊号~第89号(電子版)』(2016)

資料提供:萱野志朗/平取町二風谷アイヌ語教室/萱野茂二風谷アイヌ文化資料館 調査:高原実那子/小嶋宏亮/長岡伸一/野口泰弥/平田剛士 編集:平田剛士 StoryMaps制作協力:株式会社インターリージョン(酪農学園認定ベンチャー) 制作・著作 平取町二風谷アイヌ語教室 森・川・海のアイヌ先住権研究プロジェクト/さっぽろ自由学校「遊」/市民外交センター This research was produced with the support from the David and Lucile Packard Foundation. この研究は、The David and Lucile Packard Foundationの支援を受けています。

「北海道ヒグマ管理計画(第2期)/別冊参考資料編」資料4 ヒグマ捕獲数