『震災手記』に残る避難記録
帝国データバンク史料館『震災手記』には、関東大震災時の帝国興信所 (現:帝国データバンク)社員たちの被災体験が描かれています。ここでは二人の社員の手記を紹介します。
松田由太郎氏の手記
私は府下亀戸に住んでいたから、櫻橋からそこに戻ろうとして、まず本所深川であの震災の渦中に巻き込まれてしまった。以後の私は火に追われながら逃れ歩いたのだった。
※地図は9月1日13時ごろのようす
深川から日本橋、京橋、芝、更に神田、下谷、浅草―どうかして一刻も早く家に戻って、家族の安否を知りたいため、私はそうさまよい歩いたのだった
※地図は9月1日15時ごろのようす。手記をもとに移動経路を推測しています。

山口薫氏の手記
帝国興信所『震災手記』 帝国データバンク史料館所蔵・制作チームが傍線追加とページ加工
「自分は石川島造船所の下に一隻の小舟に乗じ避難し、迫り来る火の子と黒煙とに攻められつつ滅び行くを深川方面や、焼け落ちて行くを永代橋を望みて、苦しみに苦しんで漸くにして一命を得た者である。明ければ二日、なお消えやらぬ黒煙と煙を冒し、陸に上り初めて「自分は生きることができた」と感じた。 大震火災に対する感想、大正13年9月1日、山口薫
後から後からと流れて来る舟火事。我々は苦しみに苦しんだ。かく苦しき一夜は努力の中に明けた。漸くにして風変わり、火勢も衰え、「これで生きることができるのか」と思う次は、空腹と疲労とに悩まされた。 大震火災回顧の記、大正13年9月1日、山口薫
9月2日6時ごろのようす
震災後の石川島付近のようす(撮影日時は不明)